「…何だコレ?」 寒空の下、学校から帰ってきた私を出迎えたのは玄関に鎮座する箱。ピンク色した宅急便の送り状。 書かれた宛名は「永沢八重子」―――つまり母さんの名前。 「あぁ、お帰り」 リビングから顔を覗かせたご本人が私に声を掛けるとともに、腰をかがめて箱を抱えた。 ほんの少し油の匂いがする。揚げ物途中で荷物が来たから、受け取りだけして荷物はしばらく放っておいた、ということらしかった。 「それって誰から?」 「お義母さんからよ。さっき電話あった。福引きで当たったけど要らないから、だって」 「でも、父さんチーズ嫌いじゃん。なんでわざわざ…」 「さぁ、あの人のことだから呆けちゃったってことはないでしょうけど」 父さんの実家に居る我が祖母は、とにかく多趣味な人で、「呆け防止!」なんて言い訳をしながら祖父ちゃんおいてけぼりでカルチャースクールに通い、はつらつと人生楽しんでいるような人だった。正直、祖父ちゃんならともかく、あの祖母ちゃんが呆けるなんて考えられない。 「……人生楽しみすぎて、息子の嫌いなモノなんかすっかり忘れてるんじゃない? あと、忘れてなくても本気で邪魔だから押しつけてみた、とか」 私の適当な冗談に「あり得なくないなぁ」なんて笑いながら、母さんは流しの下の空きスペースにその箱を納めた。
今日は火曜日。帰路につく時間はいつもより早い。 昇降口で靴を履き替える時、傍らに置いた薄青色の小さな紙袋。 トントンと靴の先を鳴らしながら、拾い上げたその重みに思わず笑ってしまう。 袋の中にはキレイにラッピングされた箱が五個収まっていた。 「すっかり忘れてた」 どうしよう。傷つくかな、父さんと兄貴。 そう。今日はバレンタインデイ、というヤツだった。 「あ、」 校門を出ると、見慣れた背中が目に止まった。 「公隆」 「おー、お疲れ。あぁ、今日火曜か」 うん、と答えようとして、目にとまったものに息をのむ。 「お前、それ…!」 視線の先には紙袋。私のより大きい。色とりどりのリボンに飾られた箱がぎっしり詰まって………――詰まりすぎて持ち手の部分が取れそうになっている。 「いいだろ」 「……それ、まさか全部チョコレートか?」 「モテる男はつらいよ、ホントに」 クスリとも笑わない、わざとらしいほど乾いた口調。 今、コイツは嘘を吐いているつもりはない。 いや、吐いてるんだけど、その嘘で「騙す」つもりがない。 彼はそのままの表情で、チラリとこちらの紙袋をのぞき込むと、 「お前こそ、朝はそんなの持ってなかったよな。もらったのか」 「ん、後輩にね」 「部活休みなのにわざわざ渡しに来たのか、あのおなご達は」 「あぁ、モテる女もつらいよ」 なんて、皮肉めいたセリフで軽く笑って、 「ところで、お前はそれ、何人からもらったんだ」 ここからが本題。 「なんだ。妬いてんのか?」 こちらがもうとっくに違和感に気付いているのを知っていながら、なおも淡々と嘘を続ける公隆。並んで歩きながら、お互い目も合わせないまま、会話を続ける。 「欲しけりゃやるぞ。愛情たっぷり」 「そうか、それは大変だな。同情する」 「同情よりも愛が欲しいな、お前の」 流れるような軽口はものすごく平坦で、とんでもないセリフのはずなんだけど、今はまったく気にならない。 「……別に、欲しけりゃやってもいいけど」 「……っ、」 敢えて口調を変えて言ったその言葉が、冗談にしてもよほど意外だったのか、驚いたような顔が反射的にこちらを振り向き、 ―――そして、上目遣いでにっこりと微笑んだこちらの顔に、ハッと我に返った。 ハイ、私の勝ち。 酔っぱらいのオッサンが若い女の子に絡むように、彼の肩に手を置いて。 「答えろ。何人?」 公隆は再度の質問に嘆息すると、悔し紛れか、肩の手を払ったその腕でこちらの首を捕らえる。 そして。耳元で甘く、まるで恋人に愛を囁くように――― 「…………ひとり」 そう告白した。 差し出された紙袋をのぞき込む。二、四、六……全部で十八個。 「うわぁ…嫌がらせもいいトコだな」 箱に使われたリボンは本当に色とりどり。―――でもその代わり、その下を覆うラッピングペーパーはすべて同じものだった。 「妹が作った失敗作だとか言ってたけど。嬉しそうな顔しやがって、絶対嘘だ、アイツ」 「だな。どんだけ失敗するんだよ。ラッピングまでしてるし」 「お前さ、シャレ抜きで要らない? やるぞ。食う気しねぇし」 ため息混じりの言葉。 見た目がそこそこいい線いってるこいつは、毎年いくつかチョコをもらってる。 相手の好意に対して返す「王子様の微笑み(偽)」は、彼という人間を知らない者には定評があるらしい。ちなみに彼を知る者にも「虫ずが走る」と大人気だ。 もらうかもらわないかを一旦保留にし、 「今年は誰かからもらえたのか?」 「あ? 何だよ、ヤキモチ?」 公隆が薄く笑う。 「いや、100%興味本位」 その冗談はもういいから。意志がにじみ出るように、敢えて無色透明の声を使うと、彼は軽く息を吐いてつまらなそうに答えた。 「お前さ、腐っても女の子としてはどうよ。こんな紙袋持ったヤツにチョコ渡したいか?」 「いいや」 即答する。ってか、腐ってるは余計だ。 黒地に光沢文字の印刷されたラッピングペーパー。リボンが変えられているのもあって、遠目ならすべて違うものに見える箱の山はそう簡単に食べられないほどの量。 義理でも引くし、本命なら自分の渡したものがあの山に紛れるなんてなおさら嫌だろう。 「だろ。俺が女でもそう思う」 つまり収穫ゼロ。―――贈り主の思惑通り? 大人気の微笑みを見たくなかったのなら大成功だな。まぁ、単純に面白がっているだけって可能性の方が高いのだけど。 「安藤…恐ろしい子」 そんなセリフを口の中で呟きながら、台所で大量のチョコレートと格闘する贈り主を想像して、噴き出しそうになる。 安藤圭太、やっぱり大物かもしれない。 しばらく雑談しながら歩いていると、各々の家が見え始めた。 「あ、そうだ。どうする? 悠里」 思い出したように、例の紙袋を掲げてみせる。 「要らないか? いくつかだけでもいいからさ」 ――― てか、引き取って欲しいんだろ、お前。 甘いものが嫌いなわけではないが、かといってそこまで好きでもない公隆。 おそらく同じものであろう十八の箱の中身は、彼を―――いや、彼でなくとも、げんなりさせるには充分だった。 「中身は何か聞いた?」 「安藤曰く、手作りトリュフだそうだ」 「トリュフか……足が早いな。手作りなら賞味期限二、三日ってとこだろ」 冷静なセリフに、横の男が、うげ、と声を漏らす。 形的に見て、少なくとも一箱に六個。大台を超える個数のチョコ玉は三日で消化するには少々厳しい。 「いっそのこと溶かして何かに作り替えるか」 紙袋を眺める引きつり気味の顔がボソリとこぼす。 なるほど、妙案だ。 「そうだな、バリエーション考えたらちょっとは―――」 そう笑い返した瞬間。 頭を、何かがかすめた。 ――― あ。 無意識に足を止める。 「……悠里?」 公隆が訝しげな目を向ける。 「そうか、わかった……」 「あ? 何?」 「なぁ、公隆―――」 次の瞬間、私の言葉に、彼は唖然としていた。 「それ、全部引き取るよ」 午後八時。玄関のチャイムが音を響かせる。 『今日、八時にうち来い。出来れば多香子さんとおじさんも一緒に。晩飯軽く済ませてな』 時間ピッタリ。言いつけ通り、公隆はやって来た。 「いらっしゃい」 玄関に向かった母さんが、いつも通りの柔らかい声で三人を迎える。 「お邪魔します、八重子さん」 「上がって。悠里もそこにいるから。おふたりさんもどうぞ」 「八重子、今日何するの? 何にも聞いてないみたいだけど」 「ん? ちょっと変わったものをね…」 母さんの微笑みを含んだ声を聞きながら。 「よし」 小さく呟く。準備完了。 直後、部屋に入ってきた多香子さんが無邪気な歓声を上げた。 「わぁ! どうしたのこれ!?」 「昨日、お義母さんから送られてきたのよ。福引きで当たったんだって」 テーブルには、様々なカットフルーツと、クッキー、マシュマロ、キューブ状に小さく切ったパン。そしてフォーク代わりの竹串。 そして中央には祖母ちゃんから送られてきたチーズフォンデュセットが鎮座していた。 ただし、鍋の中で溶けているのはチーズじゃなく、チョコレート。 そう。これが私の思いついた安藤の贈り物を手っ取り早く消化する方法。 そして、今日という日を計算に入れた、ハイカラな祖母ちゃんの意図。 リビングには甘い香りが立ちこめる。 数分後には父さんと兄貴(飲み物部隊)も帰ってきて、両家族勢揃い。 目を合わせた一瞬、嫌な顔を隠せなかった兄貴に、 「久しぶり、浩樹」 にっこりと作り物の微笑みを返す公隆。……目が笑ってないよ、お前。 よからぬ雰囲気をキレイに無視して、ふたりの母親が乾杯の音頭を取り、チョコフォンデュパーティは始まる。 バナナの刺さった竹串をくわえながらげんなりと、 「すげぇ美味いよ、安藤の愛の味」 と呟いた公隆に、私は笑いを堪えきれなかった。 コメントへ>> |